建国記念の祝日。快晴の東京。決算業務も見通しが立ち2月末までに納税。納税が終わると株主総会。この時期は一年で最も忙しい。今日も休日出勤。昼食抜きで仕事が終了。時間は15時30分。オフィス施錠。東京駅から丸の内線で四谷駅下車。南北線に乗り換えて、麻布十番駅で下車。出口B4から地上に上がると、下町風の商店街。あっ!「永坂更科 布屋太兵衛」さんの本店を右手に見て更に歩く。今日は、今年232周年(1789年 寛政元年創業)の「総本家 更科堀井」さん。調べると、信州高遠(長野県)の保科松平家の御用布屋の八代目堀井清右衛門が創業。初代は堀井清助(布屋太兵衛)の本業は、信州特産の晒布の商い。保科家の江戸屋敷に出入りしていた。初代は1693年(元禄6年)に他界。八代目堀井清右衛門まで初代から96年の歳月を経て、領主保科兵部少輔にそば打ちを認められて、そのルーツは現代に至る。保科家の江戸時代前期の大名「保科正之」は、会津松平家初代。信濃國高遠藩主、出羽國山形藩主、陸奥國会津初代藩主。蕎麦好きの大名として赴任する藩にそば職人を連れて行ったとか?会津に高遠藩の蕎麦が、会津西街道の宿場町「大内宿」に残されているとか?ところが、上総國飯野藩の第三代藩主保科兵部少輔正賢。そして飯野藩第七代藩主保科越前守正率が、清右衛門の転業を認めた?信州蕎麦は往時から「さらしな蕎麦」とあったが、布屋太兵衛の信州の地名『更科』の「更」と保科家の「科」の一字をとり『更科蕎麦』としたという説。因みに「上総國飯野藩(千葉県富津市下飯野)」である。扨、入店すると丸いカウンター席に案内された。入れ替わり立ち替わりお客様が入店してくる。ちょっとお腹が空いていたが、ちょっとお燗も飲みたい気分。お蕎麦屋さんのそば前のメニューでは、「そばがき」をいただいている。長居は無用とばかりに、落ち着いて酒を味わうというものでもない。注文からサーと提供された熱々の「そばがき」。ソフトで滑らかな蕎麦がきは、さすが老舗の技。美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
