
山奥にも拘わらず数多の文人墨客が足を運んだ有名店であり、私はご主人の弟さんが銀閣寺参道で営んでいる「草喰なかひがし」を何度か訪れたことがきっかけで山奥の料理旅館を訪れることとなった。
通された桔梗の間は別館の一番奥の八畳間で谷川に面しており、その谷川へ三畳ほどの板敷の縁が張り出してある。すぐ下を流れる急流の絶え間ない水音が深山の趣きを増してくれる。
写真#1:まずはアケビ茶の冷茶でお迎え 山奥の気候はお茶が栽培できないため、春にアケビの新芽と若いツルを蒸して作るとのこと。甘くてまるい味がする。
写真#2:朱色の酒杯は食前酒であり、これが夏の暑さに衰えた神経を隔世させてくれて、五感を鋭くさせる佐用があるのである。中央下の「野草一味」の手拭いはナプキン代わりに膝に掛ける。私は日本酒を溢してしまい早速に役に立った。持ち帰り可能。
写真#3;捻った棒状の菓子は「索餅」といって、素麺の元祖だそうで餅米の粉をこねて伸ばしねじり合わせた菓子である。古代から伝わっているとの話を伺うと何故か神妙な顔になる。
写真#4、#5:鯉の洗いである。山国では鯉は貴重なタンパク源であり、入手してから行って期間を井戸水の生け簀に放つことで、泥吐きをさせて臭みを取っている。青葉は山山椒の葉だそうで、拙宅の庭のモノとは色形大きさが全く異なることに驚く。この山椒の葉をちぎって薬味にと促されて両手で千切ると爽やか鮮やかな山椒の香りが立ち上る。鯉の肉より山椒の葉の方に衝撃を受けてしまったのだ。
写真#6、#7:鮎のなめろうである。漁師料理として知られるなめろうを、鮎で作るとは贅沢の極みである。なにしろ新鮮な魚を使わないとなめろうを作ることができないのである。厚みがあり香りもよい海苔も贅沢であった。なお、写真#7は素人写真で迫力が伝わって来ないのはご笑覧ください。
写真#8:梶の葉の蓋を取ると、八寸が出てくる。なお、梶の木は神事に用いられており、その繊維から紙や布が作られたことから、七夕にはこの梶の葉に願い事を書いたとの説明を受けた。
写真#9:砕いた栃餅をコロモにして揚げた蒟蒻、海老煎餅、山のおじゃこ、杉葉の下は田螺の山椒煮でまち針のような銀の楊枝で穿り出す。酸漿に流し込んである
写真#10:蒸し鮎にの銀餡掛けである。蒸してあるので鮎の肉がふっくらと柔らかく頂けた。
写真#11:ぐじの椀。山の幸を楽しむ座敷であるが例外的に海の幸。オクラと一緒に沈んでいる黄色の花弁は今が旬の食用花のものだが、あいにく名前を失念した。
写真#12;撮影を忘れてしまったが、鮎の塩焼きは笹の葉とその下に炭火を入れた鉢で供され、薄く立ち上る煙に風情を感じる。そしてこの鮎こそ6月18日に解禁となった鮎で、座敷の下を流れる安曇川で釣ったものである。串を刺して渓谷の流れに踊る姿を留めているのが宜しい。お好みで蓼酢を付けてと言われたが、腹のところの苦みがよいアクセントとなっていたので、何も付けずに尻尾まで平らげた。
写真#13:鮎の葛の葉包み:鮎の内臓と身を使った「にがうるか」を焼いて葛の葉に包んでいるが、くれぐれも葛の葉は食べないようにと念を押された。鮎の骨煎餅が添えてあり、軟と硬の歯応えの差を楽しめる。
写真#14:鮎ご飯:軽く盛って下さいとか、残したら持ち帰ることが出来ますかなどと会話していたが、結局三回お替わりして完食してしまった。私が意地汚いのではなく、ご飯が美味いのである。味についての説明は不要であろう。
写真#15:メロンのすり流し:メロンの皮に見えるのはメレンゲにメロンの皮の模様を作っているのである。その緑色はメロンの皮から作っているというので手が込んでいる。ガラスの器の下に桑の葉を敷いて緑を添えているのが工夫である。
写真#16:冷たいお善哉:お箸に注目してほしい。一本は杉の箸で。もう一本は黒文字である。つまり浮かんだ蓬麩は黒文字で挿して召し上がれということなのであろう。そして蓬麩は片面を炙って焼き目を付けて歯応えの変化を楽しませる仕事がしてある。冷たいのに非常に甘く仕立ててある。
写真#17:抹茶。先ほどのぜんざいの甘さを強めにしたのは、この抹茶で締めるためであった。すうすうしくも仕入れ先を尋ねてしまったが、ここには記さない。
なお、料理の説明については素人の記述なので例によって誤りがあってもお許し頂きたい。取り忘れた皿もあったかも知れない。
写真#18:谷川に張り出した縁:涼やかな風が入ってきてさぞ快適だったように思われてしまうが、実は座敷の大きな窓ははめ殺しで外に出ることはおろか、風を入れることもできない造りになっている。伺ってみると気温は低いが湿度が高いので外気を遮断しているとのこと。