若い店主が込めたメッセージが伝わる蕎麦屋の二号店目、深大寺に実家の蕎麦屋があり量目を受け継いでいるとの事。
化調も使わないキレの良い汁にも好感が持てる。
ただ、レゲエがBGMだったり、若向けな内装に崩したりも蕎麦業界には維新的ではあるが、
僕は、蕎麦屋で天ぷらそばの温かいのを頼んで好みか判断するのだけど、これは義理の祖母(100歳まで大往生)がそうしていたのを受け継いでいる。
理想は、丼に汁と蕎麦と海老の天麩羅のみ。
蕎麦打ちの技は、温かい汁に浸った時に全貌がわかる。
天麩羅を見れば、全ての志や仕事がわかるからだ。
しかし、今回は残念だった。
蕎麦が5cmくらいで切れてしまうしカウンターから無言で天ぷらや蕎麦やらが乗った御膳を取れと言わんばかりに差し出されたり(←これ、一番苦手です)、揚油がサラダ油だったり、天つゆではなく空の取り皿と大根おろし、冷たいホウレン草が説明もなく添えられてたりと、なんだか技術や蕎麦屋の基本的な要素も崩れていた。
こういう体験は己の身に問いかけて、気を引き締めたいと強く感じた。
僕も維新的で革命を常々考えている。
だから、同様の価値観の異端児には本当に応援したい。