
【 それはもはや発見、というものに近い。】
多分店の名前はもう20年くらい前から知っている。そしてそのお店が、京都でも有数の良い居酒屋として評判であることも。
で、だ。もうずっとどこにあるかわからなかった。それくらい分かりにくい。普通におぼろげながら”あの辺り”ということでは場所がわからなかったのだ、結局それは現代のように、GoogleMapを見ながらたどり着く、ということができなかったからに他ならない。
それくらい、知ってる人に連れて行かれなければ解らないというか、存在するのかどうかすら危ういお店、であったのだが、ひょんなことで発見することになった。
まさかの、こんなところにあったとは、ね。いったい何年越しで私は店の名前を覚えていた、というのだろうか。
実事京都らしい、いい居酒屋である。それはその、路地に折れたところから始まって、カラカラと引き戸を開けた時の感じだとか、そういう空気感がずっと、最後まで持続していて夢見心地、と言ってもいいと思う。まるで、森見登美彦の宵山万華鏡のような、京都の夜の独特の危うさというか、光と闇の曖昧な境界線の暗い方にいるような、独特な感覚。
お店は明るい。普通のというかどちらかというと、パリッとした居酒屋である。仕立ては古いが例えばそれは、良いきずし、が必ず仕込まれているという意味合いで。
しかしながらそこが京都、というか。京で長く続く酒場独特の空気感が、居酒屋好きを魅了して止まない。そつなく煮込まれたおでん、目の前に美しく盛られたおばんざい。酒は、伏見の名誉冠を熱燗や、冷やで。
じわりじわり、と夕闇が迫る四条通りの美しさ。八坂の灯り。常連客が引きも切らず訪れては消え。二階の宴席から遠くに聞こえる嬌声。何もかもが、出来過ぎのように存在する。
こういう時間の流れ方を感じることができる酒場は、京都以外ではあまり見たことがない。一種独特の捻れというか、どこかに軸がぶれた感じがあって、この日隣に一人旅の若い女が座っていたが、そういう人たちを引き付ける魅力は多分、そういうところにあるのだろうなと思っている。