
【青海苔エビチャーハン《明治32年創業の老舗中華》】
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現在は銀座や赤坂などに
店舗をもつ『維新號』ですが、
実は元々の創業地は神保町で
明治32年(1899)に
上海近くの寧波(ニンポー)出身の
鄭余生によって開店している。
以前、解説しましたが、
「神保町の老舗中華」と「中国の近代史」には
深い相関関係がある。
1904年~1905年に勃発した日露戦争で
大国ロシアに辛勝した日本。
開国から僅か半世紀の
有色人種の島国が西欧列強に勝利。
この事実は世界に衝撃を与えた。
それは当時、
列強から植民地化あるいは
半植民地化の憂き目を受けていた
アジア諸国も同様であり、
「アジア人による近代化成功のモデルケース」
として日本の明治維新に学ぶべく、
自国の有望な若者を
日本に送り込んで留学させるのが
当時のアジア諸国のトレンドだった。
…で、当時斜陽の清朝末期の
中国も当然その例外でなく
若かりし頃の孫文や蒋介石、
周恩来といった将来の政治的リーダー、
魯迅といったインテリらも
この時期に留学生として来日。
そして彼ら
中国人留学生が多く集まったのが、
まさに神保町付近だった。
…すると
彼ら留学生のために商売する
中国料理店が神保町に数多く開店。
彼ら中国の若者達の胃袋を
「遠い故郷の味」で満たして来た。
これが
『漢陽楼』や『揚子江菜館』など
老舗中華が現在も神保町付近に数多く残る
歴史的な経緯である。
まさに『維新號』もそうした老舗中華の一つであり、
周恩来や蒋介石、魯迅らも留学生時代に
この店を利用していたと記録されています。
■苔条蝦仁炒飯 …1870yen
「青海苔エビチャーハン」
四万十産の川海苔を使用。
福建料理(閩菜)にも、
海苔を使ったチャーハンって存在しますが、
そちらは海の海苔なので、
おそらくルーツは別物。
少ししっとりだが、
米同士はパラパラしている。
ほんのり優しい醤油味で、
そこに海苔の薫香感…たまらない(笑)
プリプリと弾力豊かな海老にも大満足。
あっさりとした筍とわかめのスープも秀逸♪
■肉まん …660yen
『銀座維新號』の代名詞といえば「饅頭」
戦後、神保町から銀座に移り
大ヒットを収めた商品です。
大きめなサイズ感で
なかなか迫力がありますね(笑)
分厚い皮はホクホクしており、
中に肉汁をたっぷり閉じ込めている。
餡はマッシブで、
ゴロゴロと力強い食感。
大変おいしくいただきました♪
~あとがき~
以上、『維新號 銀座本店』でした。
…ちなみに
この店の屋号“維新號”
当時、来日していた留学生達が、
康有為や梁啓超らが中国の近代化を目指した
維新運動(戊戌の変法)に
共鳴して名付けたものと伝わる。
歴史的な背景を交えて少し話をすると、
アヘン戦争とアロー戦争に連続して西洋に敗北し、弱体化する中国の清王朝。
そこで清はヨーロッパの科学技術を取り入れ、
国力増強を目指すべく洋務運動を展開。
…ところがこの洋務運動、
旧来の体制を維持したまま
上辺の技術導入ばかりの
中途半端な改革に終わり、
結局、同じく近代化を目ざす
日本に日清戦争で敗れた事で
その限界を露呈する。
こうした洋務運動の
失敗を踏まえた戊戌の変法は
科挙の廃止や議会制度の導入なども含み、
中国の伝統的なシステムを否定した
「大胆でかなり踏み込んだ改革」
だったのですが、西太后ら
保守派に妨害され結局失敗に終わります。
だが戊戌変法が残し
中国人に広めた“変法自強”の思想は、
後に辛亥革命へと繋がっていきます。
…この背景を理解していると
西欧列強に蹂躙されボロボロの母国を憂い
この店を「維新號」と名付けた
中国人留学生達が戊戌変法に
大いに期待していた想いを
読み解くことができるのです。
あと予期してなかったのですが、
この店、メニューに
江蘇省無錫のワンタンという
中々コアなメニューがあり
次回はそちらも食べてみたいですね。