
田山花袋は、「蒲団」「田舎教師」などで知られる自然主義派の小説家(と、同姓同名)である。
女性問題で苦しみ、全国を放浪し、熊谷へとやってきた。
『町の四つ角のところに来た。
そこには乗合馬車が一台待っていた。
馬はすでに杭につけられてあった。
「妻沼町へはもうすぐ出ますか?」』
そして、「妻沼聖天山」へと辿り着く。
その本殿「聖天堂」は、宝暦10(1760)年に再建されたもの。
日光東照宮を彷彿させる本格的装飾建築。
その精巧さゆえに「埼玉日光」と称され、国宝に指定されている。
2003年から2011年までの修復工事により蘇った、創建当初の極彩色の彫刻が素晴らしい。
総工費は13億5千万円。
「妻沼聖天山」の中門は、「四脚門」と呼ばれ、境内の建物で最も古い。
寛文10(1670)年にあった妻沼の大火で、唯一残った。
釘を一本も使っていないという。
中門の傍らに、明治5(1872)年創業の割烹「千代桝」がある。
珍しい三階建ての土蔵を持つ建物。
田山花袋は、その暖簾を潜った。
1階はカウンター、テーブル席、小上がりも卓袱台2つだけ。
小さなお店と思われがちだが、2階には立派な座敷がある。
此処は、鰻が有名で、「うな重定食」なら、2500円。
しかしながら、女性問題に悩む花袋の目にとまったのは、「縁結び定食」1500円だ。
「聖天様」は、縁結びの神様である。
そこで、町の各飲食店で「縁結びメニュー」なるものを提供しているのだ。
此方の「縁結び定食」は、ミニうな丼、稲庭うどん、御新香、果物がセットになり、女性に人気だ。
此方の鰻は浜松産。
そして、創業以来継ぎ足しのタレ。
創業した146年前の一滴が含まれているかもしれない。
鰻はふわふわと柔らかく、白飯に染み入ったタレの甘みがたまらない。
稲庭うどんも、上品で、その清廉さが喉を潤す。
田山花袋は、「千代桝」に逗留する。
翌朝、「聖天様」の境内を歩く。
当地出身である源平時代の武将、斎藤実盛を想った。
「聖天様」の本尊を勧請し、北国に戦死した健気な武人。
『無限に長い過去であった。
また無限に長い将来であった。
その長いライフの流れの上に、こうして一夜泊まって黎明の境内を歩いている。』
かくして、新たに着想した小説「残雪」の執筆を、決意したのであった。
(なになに、「田山花袋」の時代に、縁結びメニューはないだろう」って。
そんな「カタイ[花袋]」こと言わないで。)