「昔はよかった」 とひっきりなしに語るものがいる。もちろん、私もそのうちの一人なのではある。コンプライアンスなんてヤボなものはなかったから、全般的に大らかであった。大人が子どもを守ってあげられる時代もあった。そういう精神的な事柄は別とするのだが、昔ってそんなによかったのか? いろいろな問題はあれど、携帯やスマホはないよりはあったほうがよいに決まっている、インターネットだって然り。傷つくことも傷つけてしまうこともあるが、救われたもの、助かった命もたくさんあるのだから、やはりよいものだと思う。 ところが、ヒステリックに昔がよい昔がよい昔がよいと言い募る者がいる。自然信仰ともいえる方もいて、機械に頼る生活はだめだ。自然換気以外は認めない。ガスと石油はいいが、照明以外の電気はダメなどなど。 いやいや機械換気は法律で決まっていることだし、電気だけはダメというのも道理に合わない。 すべてを否定するわけではない。中には化学物質に過敏な反応を起こしてしまう体質の方もいる。私だって機械に管理されているような生活はごめんだ。だからといって昔、たとえば私が仕事を始めた30年前と比較すれば造りやすく、丈夫に、便利に、そして安く、…はなっていないが、確実によくはなっている。必要なのは今昔を隔離するのではなく、ほどほどにブレンドすることだ。 では"ほどほどにブレンド"されたものとはどこにあるのか。それは長い間残ったものの中にあると思うのだ。変なことをいっているな、矛盾してないか?と言われそうだがそんな事はない。 そもそも老舗といわれる存在ほど変化しているものはないのだ。例えば、ヨーロッパで数百年続いたカフェでIHクッキングヒーターを使っていたり、江戸時代初期にできた現金掛値なし・切売商売を始めてから現代の三越百貨店となるまで相当変わっているはずだ。その時代々々の趨勢に合わせてきたからこそ、現代でも成り立っているのだ。 「こうちゃん」 母袋交差点すぐ近く、以前はスーパーマツヤのあった場所(現在は某住宅メーカーのモデルルームとなっている)の通りを挟んだ斜向かいにある。こちらは昨年夏にかき氷をいただいた。今回は井之頭五郎よろしく、古ぶるしい居酒屋メシとあいなるのだが、これがまたどことなくモダンなのだ。まずはご飯と味噌汁があるのが前提となる。 「甘い玉子焼き」 "明太子玉子焼き"なるメニューがあったのだが、私がお願いして特別に作っていただいた。玉子焼きは甘いものでなければならないのだ。という信念に基づくもの、とにかく甘く甘くしてくれとリクエストしたのだが、そこはそれプロのすることだ。"甘く甘く"の一歩手前の甘さというか。そこの位置だからこそ玉子も香る、酒も香るといった絶妙な味わいなのだ。 「砂肝炒め」 砂肝は通常なら串焼きにするものだろうが、これは塩胡椒、ニンニクを効かせて炒め焼きしたもの。ありそうでなかった、というか少なくとも私は出会ったことがない。しゃく、しゃくとした歯応えが素晴らしい。 「レバー焼き」 前者の砂肝がレバーに変わっただけのものであるが、これがまたすごいのだ。よほどよいレバーを使っているのであろうし、そもそも血抜きも火通しも完璧、ぷりっぷりのさくさくの歯応えが素晴らしすぎる。 拙い写真と文章では伝わりづらいかもしれないが、これがモダンなのだ。伊達に長い間やってないぜ。そんな感じなのだ。よかったら一度お試しいただきたい。理解してもらえるはずだ。
長野市にある長野駅からタクシーで行ける距離の焼き鳥屋さん

















