栃木県の北部、那須郡にあった湯津上村。現在は大田原市に編入。1200年の歴史をもつ鄙びた温泉郷 塩原温泉。長閑な温泉街にはトテ馬車が走りその後を徐行して走る車。共同浴場が数多い。妙雲寺と戊辰戦争。江戸初期の二代目高尾太夫は塩原の出身。明治期、金色夜叉の作者 文豪 尾崎紅葉が宿泊した清琴楼。行列のできるB級グルメのスープ入り焼きそばの店。店の前を通ると行列ができていた。ある晴れた週末、老夫婦が営む 手打多助蕎麦 湯津上屋さんに入店。地元では、多助そばで名が通っている。先客の3名のご婦人が世間話をしながら、お蕎麦を味わっていた。もり蕎麦を注文。暫くすると笊が2枚に重ねられて配膳された。ご亭主はマイ箸ですか?と言ってお蕎麦を置いて厨房に引っ込んでいった。更科系のお蕎麦。コシ、喉越しがいい。温泉街の老舗蕎麦屋。食後にご亭主と話をする機会を得た。今となっては、幻のお蕎麦屋さん。幼い頃父に連れられて行ったお蕎麦屋。その消息を確認すると閉店していた。店の名前は『十一山本』。十一とは外一とも読めるので蕎麦の配合?そのお店のご亭主はお客が気に入ると他のお客を入れないように店に鍵をかけて、収集した浮世絵や骨董品を語りはじめた。商売そっちのけの頑固おやじを思い出した。店の名物は、『そばがき』だった。木の葉の形で提供されていた。数年前に藪伊豆総本店さんで『そばがき』を注文した折、その器が十一山本さんの器と同じで修行した店はこの店かと思った。多助そばのご亭主は、もし十一山本さんのおやじさんがご存命ならもう100歳を超えているでしょう。もう温泉街で古くから営んでいる店は、うちと三條屋さんと語っていた。次回は、多助さんの「そばがき」を楽しみにしている。帰京して通勤途上、銀座でご子息が木挽町 湯津上屋さんを営んでいることを知り、昼時に伺った。前評判では、店内撮影禁止。扉を開けると白い割烹着を纏った雲水の風貌の主人。寺房のような空間。お客様のトーンの低い話し声。カウンターに着席。もり蕎麦を注文。カウンター越しにうしろ姿、蕎麦を盛るしぐさ、その先端の指先を思いながら蕎麦を待つ。黒い蕎麦。コシそして喉越しがいい。厨房の奥にある大きな柱時計は、時をゆっくりと刻んでいた。ごちそうさまでした。
写真と本文をすべて表示歴史の香りと静寂に包まれた、温泉街のこだわり手打ち蕎麦店















