更新日:2022年10月13日
窓から見える眺めが最高!ソラマチ30Fの本格イタリアンレストラン
ピッツァマルゲリータとか、ビアンキのチェレステカラーとか、イタリアは職人が王女の為になんか作る文化があるらしい。 マファルダ王女は、ナチス政権下のドイツでヘッセン=カッセル方伯フィリップと結婚する。 フィリップの弟はナチスSS(親衛隊)の幹部で、当時ファシスト支配下のイタリアから来た王女と、ナチス支持者の結婚という形で、フィリップの地位は上昇した。 だが、アドルフ・ヒトラーはマファルダを反ナチスだと信じるようになる。 マファルダが義弟であるブルガリア王ボリス3世の葬儀に出席するためブルガリアへ向かった際、祖国であるイタリアは連合国側に降伏。 行き場を失ったマファルダは、ブーヘンヴァルト強制収容所へ送られた。 収容所内の弾薬工場が連合国によって爆撃され、マファルダも瀕死の重傷を負い、感染症に冒された腕は医療班により切断された。 1944年8月マファルダ死去。 イタリア王家はドイツが降伏する1945年までマファルダの死を確認する事すら出来なかったという。 #令和初ごはんキャンペーン