年越し蕎麦をいただいてきました。 手打ちそば美味しい♡いつもおつゆ飲み干してしまいます(照) #年末年始
口コミ(2)
オススメ度:85%
今日の栃木は曇り空が広がっていた。昼時に蕎麦屋を検索。あるブロガーの情報を頼りに「むぎくら」さんに入店。先客4名様。メニューを捲ると蕎麦をはじめとして、丼物、定食、お好み焼きそしてお寿司まで、レパートリーは広い。住宅街にお店はあり夜は居酒屋さん。もり蕎麦の大盛りを注文。間違いなく手打ち蕎麦。繋ぎを使っていないのか麺は短いが、滑らかな喉ごし。お店の周辺は、広大な清原工業団地として一流企業の工場群。お会計の時ご主人に、この地の戦跡、清原飛行場(鐺山飛行場)があったことをお聞きすると、今は当時の行幸記念碑と宇都宮陸軍飛行場跡の石碑だけた残されているだけですとの事。そして調べると、昭和17年から物資を補給するために、東北本線の「宝積寺」駅から宇都宮陸軍航空廠線が飛行場に至っていた。線路跡は現在も地元の人々から「線路道」「汽車道」の愛称で呼ばれている道。鉄路の支点となった宝積寺を調べると、地名は建仁年間、木曽義仲の妻で宇都宮氏の血族であった清子姫が夫の菩提を弔うため妙清尼と名乗り、妙清山宝積寺を開基しその後住職が永久にこの地を寺の村にしようとして「宝積寺」とした説。もう一つは、宝積寺の左岸を流れる鬼怒川橋の近くに石神という字名があり、石をご神体として祀った祠があった。石神はシャクジンとかシャクジと読み関東・中部地方では民間信仰。石神付近には、縄文時代の大集落跡があり、ここから出土した石棒をご神体として祠に祀ったので石神という地名が起こり石棒の宝器的性格を加味してホウシャクジとし「宝積寺」という当字を用いたとする説。「宝積」とは「人に尽くして見返りを求めない」。僅かな3年10ヶ月の期間で廃線。戦争に翻弄された鉄路跡を宝積寺駅まで辿り帰宅。ごちそうさまでした。