
【海と大地の融合】 大きなフカヒレの塊が出てきた。大きさと状態を確認して彼は頷いた。やがて調理されたフカヒレスープが目の前に出てきたのだが、よく見るような茶色の粘度の高いスープではなく、鶏白湯仕立てになっていた。 「まず日本だと食べられないね。何故ならこう言った発想は実に中華的で、素材の味を際立たせるためにできるだけ他の要素をそぎ落とし、その旨味をひきたてようとする引き算の料理が和食なら、我々香港の広東料理というものは、全くその逆で、乗算思想だからだ。だから、材料があってもまずこのような料理をすることはないだろうね」 そのスープは黄金色で鶏一羽を丸々出汁として使用した濃厚なものだ。一口啜るとその蕩けるような鶏の旨味はもはや官能的ですらあり、甘くふっくらとしていながら長く口に残り消えてゆく。このようなスープは、飲んだことがない。 「多分君は何度も市場で見てきただろうけど、基本的に海鮮類なんかもそうだがすべて生きたままで調理するんだ。鶏ももちろん生きたままで売っていて、大抵はその場で締めるけど、日本はそういう売り方をしないだろう。鳥は鮮度が影響するからね。今君はとても不思議な気分だろうけれど、フカヒレというものはテクスチャーなんだ。フカヒレ自体煮込んでも味はしない。」 二口目、レンゲに塊のフカヒレを乗せスープと一緒に口に運ぶ。塊のフカヒレの食感と濃厚な鶏のスープは完璧なる融合をしている、これは大地と海の料理だ。 「要するにこれはこの、崇高なる鶏のスープが重要なんだ。これだけおいしいスープを取ること自体大変な作業だが、高級な料理としては成立しない。そこにフカヒレが入ることでこの偉大なるスープは完成する。そしてどちらが欠けても単体ではこの料理は成立しない。この鶏のスープに鶏を入れてもダメなんだ、このスープには塊のフカヒレがその繊維にスープを含んで完成する。」 香港という街は面白いところだ。街中には星の数ほどレストランがあるが、そのどれもがおいしいわけではない。むしろ、何も考えずに入ると大したことがない場合が多い。だが、そこにはずば抜けて美味しいレストランが存在する。一度そのようなレストランに行くと、香港こそ中華料理の王である、と言わざるを得ない。 フカヒレスープがなくなった頃、その出汁をとった鶏がテーブルに置かれる。箸でその肉をつついてみれば、見事にスカスカの抜け殻だ。 その後も香港に行くたびにこのお店でフカヒレのスープを食べている。何度食べても感動する料理というのは滅多にない。そして何度食べても官能的で体が震えさえする。このお店は北京ダックもアワビのステーキも、子豚の丸焼きもグースのローストも美味いのだが、このフカヒレスープの前ではどれだけ美味いものが出てきても霞んでしまう。海のものは海のもの、山のものは山のもの。そう言ったことは固定概念で“美味しいものと美味しいものを足して、さらに倍以上美味しいものを作る”という発想の自由さが、香港という特殊な場所を支えている源に違いない。 このお店は香港の人には有名だが、ガイドブックなどにあまり登場することがない。そして実は私がよく通っていた上環にあった店舗は閉店してしまっている。だが、香港内に数店舗出しているので、近くにあれば寄って見てほしいと思う店だ。昼間の飲茶も、絶品である。 今回はツェンワンのお店で違うタイプのフカヒレを食べた。このフカヒレも絶品で、トリュフの香りがなお一層味を引き立ててくれたものだが、やはり私の中の記憶の最高のフカヒレは、この黄金色のスープの中に浮かんでいる。