
【 それは踏み絵の様に/琵琶湖セッション8 】
さあ、今週は何を食べに行く?というところから夕方が始まる。みんなgoogle mapで色々開いて、今週決めたのはこちら。お好み焼きを食べよう!としらべたらもんじゃ焼きが、出てきたというわけです。
なかなかの高評価にて。
さて、もんじゃ焼き。私は数度食べたことがあって、いやあれはなかなか美味いんだよ。というと、関西生まれ、関西育ち、食べたことがない女性陣はすでに訝しげであって、”怪しいものは食べない主義”感満載。いや、ここ、もんじゃ焼き屋なんだけどな。
というわけで、私ともう一人の男性でびっくりもんじゃ2-3人前1800円を分けることに。女性3人は、3人ともが”お好み焼き”チョイス。もんじゃちょっと食べさせて、と注文時につくのは何故なのか。
頼めばよかろうもんね?と思うが。もんじゃ焼きに対するネガティブなイメージは、一体どこからやってきたのだろう。ネットニュースだろうか、巷のアンチもんじゃ党員のロビー活動だろうか。とにかく、もんじゃ焼き屋に来てお好み焼きを頼む、という実に非生産的行為に於ける恥知らずどもめ!と罵ってはみたものの、もしかしてそういう自虐的快楽の狭間で揺れているのだろうか?(否)
まず、びっくり焼きがやってきた。これはこの店の名物なのであるが、先ずその盛りの良さに驚く。桜えびがたっぷり乗せられている。これを鉄板全体を使い焼いてゆくのである。もちろん、焼くのはお店の方が完璧にやってこなしてくれる。
うむ、いい。今まで見たことがない巨大もんじゃ焼きが目の前に不沈船の様に浮かび上がってきた。素晴らしいビジュアルである。
お店のお姉さんが綺麗に焼いてくれ、さあどうぞ!である。小さなコテですくいながらいただく。ばちーん、とダシが効いていて美味いじゃないか。
たっぷりあるから君たちも食べるといい。とお好み焼きの人たちに進めたが、あまり進まなかった。一人は焼けてない、焼けてないを繰り返した。
当たり前だ。これはこういう食べ物なのだ。納豆を食べてねばねばしてる〜とか、そういうのとおなじである。ネバネバしているのが当たり前。もんじゃだって、この粘度が残っている状態をいただく食べ物なのだ。
いったいこの食べ物のどこに忌避する要因があるのだろう。名前だろうか?見た目だろうか?確かにどちらもイマイチではあるな。
そう思いながら、コテでシャコシャコとすくい上げ、私のもんじゃは私の胃袋へと落ちてゆくのである。出汁のたっぷり聞いたもんじゃ焼き、実にうまい。
さて、もんじゃ焼きの姿が50%ほど消えた頃に再度、お店の人の手が入りそこの空いたスペースにお好み焼きがサーブされた。このお好み焼き、実に特徴的で明石焼きの様な生地が、実に美味そうである。
しかし、彼女たちにとっては微妙に、これはお好み焼きではない、という評価になるらしい。これは、もしかしたら男女における、カロリー獲得のための根本的な生存的思考回路のちがいなのではないだろうか?という考えが私をよぎった。
食物を獲得するのが男性であるならば、できる限りそのキャパシティを広めて総獲得カロリーをあげたいので、挑戦的であり稀に毒物をも口に含み命を落とす。しかし女性は男性の、カロリー獲得能力の向上と調整を図るならば、より安全で既知のものをよしとする、そういうった背景が、
さて。当該もんじゃ焼きはFC店であり、どうやら奈良にHQがあるらしい。もんじゃを食べた関西人が偏見をなくし新たな色の体験を提供しようと持ち帰ってきたのがそれである。
はたして、このもんじゃは文化的に正しいものなのだろうか、それとも何か手心が加えられているのだろうか?そんな疑問も湧き上がるもんじゃやき、というものを、私は愉快な気持ちでいただいている。