
【《あと残り③》明治13年(1880)創業。浅草最古の老舗すきやき】
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本日は浅草の『ちんや』
訪問時点、
Googleマップ評価「4.4」、
某グルメサイト「3.58」、すき焼き百名店。
屋号は元々は江戸時代に
諸大名の江戸屋敷や豪商相手に
日本犬の狆(ちん)など愛玩動物を扱う商売をしていた事に由来。
のちに明治維新後の1880年に料理店に転身し、
老舗が集中する浅草でも「最古のすき焼き屋」に。
コロナ禍の2021年、
客足の減少と店舗老朽化に伴い一度閉店するが、
大手飲食グループWDIの傘下に入り存続。
店舗を新築すると共にリニューアルオープン。
…ちなみにWDIといえば直近で私が投稿した
ミシュラン香港点心『添好運』の日本国内店舗も同社が運営していますね~
■日本人と「牛肉食」
今を遡ること幕末明治。
文明開化で西洋から肉食文化が伝わる。
江戸時代以前の日本で、
穢(けが)れと見做され忌避されてた
牛肉食は一転して「文明人の進んだ食習慣」と認知されるように。
外国人居留地があった横浜は
いち早く牛肉食が発展し
同地で牛鍋が誕生することとなる。
当時、牛鍋を食べる事は
ハイカラで先進的、開明的な行為とみなされ
非常に流行っていたようで
仮名垣魯文は明治5年刊行の『安愚楽鍋』で
「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、
牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」
と記している。
…ところで私は
90年代半ばに連載が始まった
コミック/アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』ど真ん中世代。
大久保利通暗殺の
紀尾井坂の変(1878年)前後を扱う
るろ剣の劇中では剣心ら一派の拠り所として
牛鍋屋「赤べこ」がしばしば登場。
彼らが牛鍋をつつく姿が印象的で、
まさにこの時代に流行していた牛鍋が
象徴的なアイテムとして描写されている。
■牛鍋とすき焼き
似ているようで微妙に違う「牛鍋」と関西発祥の「すき焼き」
その定義やルーツは諸説ありますが、
明治時代の後半から東京で
関西風の「すき焼き」がブームとなったため、
次第に東京でも「すき焼き」の名称が定着。
実際にこの『ちんや』でも1903年に
「牛鍋屋」から「すき焼き屋」に改めている。
一説にこのように、
東京の元々の「牛鍋」の様式を一部残しつつ、
名称だけが「すき焼き」に変わっていったため、
現在の
「関東風すき焼き」と「関西風すき焼き」の
違いが生まれたとされる。
■椿 …¥6800
さて注文は単品すき焼きの「椿」
単品といいつつ
先付、口直し、すき焼き肉、ザク(野菜きのこ類)・玉子が付きます。
「先付」は煮アワビ水菜の豆乳ダレ和え物、
「口直し」は漬物でした。
この「椿」の場合熟成の赤身肉120gで、
比較的脂身が少ないので食後も胃袋が重くなりにくい。
薄切りで絹のようにシルキーな食感がたまらない!
とりわけ美味しかったのが車麩で、
煮汁を全部吸ってとりこんでるので激ウマ(笑)
…時間が経って鍋が煮汁が少なくなったら
割下と出汁を追加して調整。
砂糖が溶けネットリ粘度のついた割下はコク甘。
一方の出汁はさっぱりと端麗な味わい。
個人的には出汁を多めに入れて
さっぱり目が好みでしたね。
デフォで卵が2個ついてくるので
具にたっぷり割下を吸わせて贅沢に卵に絡める。
白ご飯を追加注文し最後は、
割下が混ざった卵かけごはんでフィニッ~シュ!
大変美味しくいただきました♪
~あとがき~
以上、外部の資本を取り入れつつ
屋号を守りつづける『ちんや』でした。
この店を勉強する中で
東京の「牛鍋」の始まりと
関西の「すき焼き」の影響を受ける過渡期やらが整理でき、
ひとつ私の中で知恵が増えました。
ちなみに店内は明治~大正期の
和洋折衷建築を意識しているようで
履物は玄関に預けつつ
絨毯の廊下を歩き座敷席でテーブルと椅子で
「すき焼き」を堪能。当時の雰囲気を楽しめます。
インバウンドの影響で大人気の店につき
訪問の場合は早めに予約を