
京都『大原』‼️
京都の中でも、山に囲まれた“風情在る田舎“❗️
過去、都暮らしに疲れた人間が、”やすらぎ“を求めて住み着いた里、
此の地で”隠棲“した人の代表格が『建礼門院”徳子“』様、
『平 清盛』の娘で、平家一門の繁栄の為に“天皇家”に嫁ぎ、『安徳天皇』を産み、平家繁栄のキーパーソンの人…
運命が流転したのが、『平 清盛』の死から、栄華を誇って居た、平家一門が傾き出し、『壇ノ浦』で、子供で在る『安徳天皇』と母で在る『二位尼』が入水で天に召されるを見る様を見て、後を追うも叶わず、都に戻って、女性と言う事、皇室関係者と言う事で、只々、菩提を弔う、余生を送った、権力者に“運命を振り回させられた人”
後年、“隠棲”した時に、仕えてた『阿波内侍』が『山仕事をした時の衣装』が、
現在も伝わる『大原女(おおはらめ)』(此処から京の都に行商に出てる販売女性を指す)の起源と言われてます…
最初は、“薪炭”を売り歩いて居たんですが、茶、麦粉、『しばづけ』などの“特産品”でも知られる様になって行きました(๑˃̵ᴗ˂̵)
そう、『しばづけ』が名物なんです❗️
時期に為ると、山里の畑が、“紫色の紫蘇”が広がる光景が目立ちます٩( ᐛ )و
“隠棲”先の寺院に向かう、途中には、お土産用として『漬物屋』さんが、軒を構えるのも、『大原』の特徴です(๑˃̵ᴗ˂̵)
先に出た『建礼門院』様に”献上“して『しばづけ』の名前を賜った伝承も残る、大原の”名物“です❗️
大原で”漬物屋“で全国に知られるてるお店が…
『土井”志ば漬“本舗』‼️
創業者『土井清太郎』さんは、『よろず何でも屋』でしたが、大正時代に、大原の地で、”ひっそりと“息づく『しばづけ』に目を付け、
『”志“を”漬ける“』の当て字を用いて『“志ば漬”』と、伝統の紫蘇の普及に尽力しつつ、孫の代迄、商いが続けれる様に、商いの伝書を残して、
平成時代に入り『竈炊き立てごはん 土井』が始まります、3代目の『土井清一郎』さんが、
昭和初期に、大原街道(鯖街道)に面した旧本店(現自宅)の軒先で“お茶漬け”を出してたものを“再現”したいをコンセプトに始めたプロジェクト、
先ず店内に入ると…
硝子張りの竈門炊きのご飯の炊事場が在り❗️
如何にも『お漬物』に逢いそうな“ご飯”を炊いてます、しかも、京都産のお米使用(お代わり自由です(๑˃̵ᴗ˂̵))
メインのダイニングテーブルには“サラダバー”ならぬ
『お漬物バー』が在ります❗️
オーダーして、メニュー商品が来る前に、
“お茶受け”として利用出来るのも『お漬物』の魅力(≧∀≦)
オーダーは、私は“名物”『お漬物天ぷら膳』
親は『鮭 西京漬膳』
メインの『お漬物天ぷら』を‼️
“漬物の天ぷら”って作るのは意外と難しいと、
理由を挙げるなら、先ず上げるのが“水気”…
“衣が絡み”難い上に、水気をしっかり取らないと、揚げてる途中に揚げ油が“ハゼ”ます(((^_^;)(苦笑い)
苦戦しながら作ります…
様々な『お漬物』が素敵に揚がってまして、
通常は、魚介がメインの“天ぷら”
此処では、メインネタが『漬物』口直しが、“白身魚”の『鱧』非常にユニークです(๑˃̵ᴗ˂̵)
“竈門炊きご飯”は、ふっくら‼️
お米の甘さ、水分含有率の程度、対流による火加減による炊き上がりの秀逸さ(๑>◡<๑)b
お味噌汁、流石、漬物屋さんと言うべきか…
野菜がメインなので、具材の野菜も素晴らしいです(๑˃̵ᴗ˂̵)
多分、質は良質ですが、“お漬物”に為る時点で、“撥ねられた”お野菜の数々、
シャキシャキの“歯応え”が未だ残って居ます❗️
#京都大原に本店が在る漬物の全国区のお店
#竈門炊きご飯とお漬物のお店
#“志ば漬”の名門店
#ご飯・お漬物・日本の根っこ(๑˃̵ᴗ˂̵)
諸々の事、
実は、マイバイブ『美味しんぼ』にこんなエピソードが(笑い)
パリでのが生活が長い、デザイナーが、自分を見失い、“日本”に帰って来たい“と申し出をする、
引退を心配した知人が、主人公(山岡士郎)とライバルで在る(海原雄山)に
海外に戻りたく為る料理を作って呉れと依頼、
一方は、フランス料理の素晴らしさを説く料理
一方は、ありきたりの”握り飯“と”丹沢の湧水“と”糠漬け“を出す展開…
気力を戻したのは、後者の”ありきたり“のメニュー
理由は、パリに不満が在る訳では無く、長い生活の中で、自分のアイデンティティで在る、日本食に飢えたてたと…
此のコロナ禍、非常にストレスを溜め込む人も居る筈…
やはり、『お茶漬け』為り、『お漬物とご飯』為り、
自分が『日本人であって良かった❗️』と言う物を食べて、簡単にはヘコタレ無い、気概のパワーフードにしたい所です(๑˃̵ᴗ˂̵)