
人を育てる、自由な議論の場をつくる、活発化させる、場を盛り上げる、ということは社会の一員として持ち得ていなければならない。人は前向きでいなければ生きてはいけない。もちろん、前向きにモチベーション高く進んだとしても、すべてがうまくいくとは限らない。失敗することも、やり直しせざるを得ない事もあるだろう。とはいえ、人は下を向いた瞬間すべてが終わる。奈落の底に落ち込むのはじつに簡単なことで、這い上がってくる事ほど大変なものはない。そういった事例はいままで幾度となく見てきたし、より近しい方が落ち込んでいくのに接することは、この上なく哀しいものだ。
人と接するときは"褒めろ"という。
出来栄えを褒める、意見を褒める、態度を褒める。やりすぎて調子に乗せることはまずいが、始まりは褒めて褒めて、少しずつでも自信をつけさせて大きく育んでいく。これが本道であるし、私同様に育てられたし、後身にもそれ以上に接しているつもりである。しかし、
「お前は甘い」
と、指摘してくれる方もいる。褒めることはよいのだが、優しすぎるのとは違う。時には厳しく接して緊張感が途切れないように仕込むべきであろう、という事なのだ。たしかにその通り、私だって褒めっぱなしだけという事はない。ただ、あまり得意ではないが。
感情的に怒るのと、論理的に叱るのとでは違うのだ。そもそも、"批判"ほど難しいものはない。オピニオンである以上は、相手に届かせることが肝心だ。そしてそこに必要なものは"ユーモア"であろう。どれほど厳しい意見であっても最後にはニヤリとして受け入れざるを得ない。そんなやり方が理想と考える。単なる"辛口"では何の意味もない。
「幸楽苑 駒ヶ根店」
ご存知、みんな大好き街のラーメン屋さんだ。醤油、味噌、塩、とんこつとひと通りのラーメンを味わうことができる。チェーン店のよいのは、季節商品が用意されているところだ。本当はバレンタイン&ホワイトデーのチョコレートラーメンというのを食べたかったのだが、すでに終了とのこと。では甘いものの反対シリーズとしよう。
「餃子 極」
ラーメン屋に来て餃子を注文しないのはイモでしかない。といってビールがないのは、ダサさの象徴といえるのだが、平日昼間で運転があるのだからダサイモと言われてもニヤリとしてガマンするしかない。"極"というだけあって整った餃子だ。ニンニクの効きは弱いが旨味がたっぷり、ひと噛みすれば至福が訪れる。
「ベビースター入りラー油餃子」
上記に食べるラー油がかけまわされたもの。風が強く寒いので辛いものを、という事だ。そうでなくとも美味いのに、ベビースターラーメンが入っているのだから、少々辛くても許せてしまう。
「野菜坦々麺」
メインディッシュは辛いものつづきでこちらを選択。ここ数日、明らかに野菜が不足している、という理由もある。
マイルド系、スパイシー系と味を選択できるのだが、当然後者となる。ボール状の辛味噌を、スープに溶かしいれながら辛さを調整する。花椒たっぷりで辛い辛い。腹の中がぽっぽぽっぽと暖かくなってくる。内臓にダメージがない程度の辛さだから安心して食べられる。キャベツがよい仕事をしている。
そうはいっても、厳しくあたるということは難しい。優しいから、というのではない。人にも自分にも強くあたれない、ヘタレなだけのものに何ができるというのだ。嗚呼