地元の喫茶店放浪 … まさかの初投稿。高崎観音山への入口、護国神社近くにある純喫茶。道を挟んだ反対側には若かりし頃よく行った「プランタン」という喫茶店もある。最近出来た「山田かまち美術館」にもほど近い。 当時、赤の「86 TOYOTA COROLLA LEVIN GT APEX TWIN CAM 16」で今の相方とこの界隈をよくドライブしていた事を想い出す。此方の喫茶店も何度か来ているはずだが、当時とあまり変わらない外観、夕方から夜にかけて明かりが灯ると、ちょっといい感じのお店だった。既に四半世紀以上時間が経っている。テーブルのかすれ具合が何だか時の流れを物語っているように感じられた。 お年を召したご婦人3名で営業しているようだった。Key Coffeeの看板のお店なので、トアルコ トラジャのシングルコーヒーとマロンケーキのセットをお願いした。コーヒーは、トアルコ トラジャのマークが入った専用カップで出された。デミタス的でちょっと小さめなカップ(苦笑)、口に含むと酸味を感じるが、後から深いコクがやってきて、とてもフルーティーな美味しいコーヒーでした。幻のコーヒーと言われるだけのことはあるかと … 。 マロンケーキは、クラッシュした細かい栗が表面とマロンクリームの中に散りばめられているケーキ。形の異なるモンブランみたいな感じで、美味しいがやはり甘めのケーキです。コーヒーには合うと思うが、コーヒーの量が少ないのでバランスがちょっと悪かったという感じでしょうか …。 メニューの最初に書かれていた詩がとても気になった。 魔のように黒く 地獄のように熱く 天使のように清く 恋のように甘く … タレーラン お店のご婦人に聞いてみると、マスターがこの詩を気に入っていて、お店を開店した当初からメニューに書き込んでいるとの事だった。それ以上の事は確認出来なかったが、何だか気になったので余計な詮索をしてみた。 タレーランは、シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールという元フランスの首相。フランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で外交官でもあるようだ。ウィーン会議ではブルボン家代表となり、以後も首相、外相、大使として活躍し、長期にわたってフランス政治に君臨したという。 これだけではコーヒーとの繋がりがわからないが、タレーランは美食家としても有名で「美食外交」と後に語られるように、各国の要人を美しい城と最高の料理でもてなしたとされる。 詩の言葉にある、コーヒーが「恋のように甘い」というのは、エスプレッソの飲み方に由来しているとのことだ。エスプレッソは、ナポレオンが大陸封鎖令を発したことでコーヒー豆が不足した際に生み出された高圧抽出方式。デミタスカップの濃厚なコーヒーには、シュガースプーンで山盛り1杯の砂糖をそっと落とし、飲み終わった後はその砂糖をスプーンですくって舐めるのが正式な飲み方だという。 エスプレッソを無糖で飲むのは日本人くらいだと言われるが、日本人に合わせてそれほど濃くはないからなのかもしれない。そういえば、軽井沢のとあるカフェでエスプレッソをオーダーしたら、コーヒーシュガーが底にたくさん溜まっていたことがあった… 創業1911年の東京で現存する最も古い銀座のカフェーパウリスタでは、かつて「鬼の如く黒く 恋の如く甘く 地獄の如く熱きコーヒー」というキャッチフレーズがあったらしい。タレーランの詩を少し変えて引用しているようにも感じられる。 カフェーパウリスタについては、TOPユーザーさんが詳しく紹介しているようなので、説明は省略するが、このお店のマスターも"銀ブラ"の代名詞でもあるパウリスタでブラジルコーヒーを飲んで影響を受けたのかもしれない。 また、タレーランという名は、漫画にも登場しているようだ。京都の片隅にひっそりとたたずむ喫茶店・タレーランが舞台の漫画らしいが、読んだ事はない。偶然、この店を訪れた青年・アオヤマは、タレーランの女性バリスタ・美星の淹れるコーヒーに魅了される。美星とアオヤマ――2人はやがて、タレーランに持ち込まれる日常の些細な謎に挑んでいくことになるというストーリーのようだ。実在するカフェなのかは不明です。 いつになく長くなったが、この「蛮珈梦」というお店からタレーランを通じて「カフェーパウリスタ」に辿り着いた。何だか興味深いので、「カフェーパウリスタ」にもいつか行ってみたい。 ご馳走様でした! #昭和の純喫茶 #タレーランの詩 #カフェーパウリスタのキャッチフレーズ