ラーメン 平山

ひらやま

予算
~1000円
~1000円
最寄駅
JR東北本線(宇都宮線) / 那須塩原駅(3.3km)
ジャンル
ラーメン
定休日
不定休 毎週月曜日 毎週日曜日
非公開

その日は朝から雨だった。行きたいお店がことごとく満車でナビを設定し直してお店を探していた。栃木県の北部である那須は原生林が今も所々にある。金槐和歌集では、『もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に 霰たばしる那須の篠原(源実朝)』那須野が原は自然が残っている。扨、那須塩原市(旧黒磯)市街に行く道で、ラーメン平山さんの小さな看板が左側を通り過ぎていた。あれ!戻って行くと開拓地の中にひっそりと佇むラーメン店の看板が、更に店の奥への駐車場に誘っていた。若者達が順番を待っていた。時より降りしきる雨が田植え間もない水田に多くの波紋を広げていた。漸く店内に入る。アシスタントのボーヤらしき店員さんがお好みの量を聴いている。とりあえず全部増を注文していた。店内に通されると世代が20代だった。「マシした方は食べ残し厳禁!!」必死にいただいたが、ラーメンの味に世代のギャップを感じた。本質的に昔ながらのあっさり醤油系で育っていたことが分かった。食後に黒磯市街に向かう途中に、戦跡に至る。那須野 陸軍飛行場跡 建立の記(全文) 日支事変から第二次世界大戦に突入した日本陸軍は飛行操縦将兵の早期養成に迫られ この地に昭和十三年から三年の歳月をかけて面積約二百八十ヘクタールの飛行場を完成した 爾来 熊谷及び宇都宮陸軍飛行学校那須野教育隊として下士官 特別操縦見習士官 少年飛行兵等の操縦学生が猛訓練を繰り返し 卒業後はつぎつぎと第一戦へ配属されていった 戦況熾烈となった昭和二十年四月茨城県より鉾田教導飛行士団が移駐して実戦部隊となり双襲双軽爆撃機による特攻機の訓練基地として神鷲隊十二隊が編成され うち二隊は終戦直前 岩手及び鹿島東方洋上に特攻散華せられた 七月 八月には敵艦載機の来襲を受け将兵竝びに附近住民多数の戦死傷者を出し また飛行場開設以来猛訓練に依り幾多有為の士が殉職せられた その間防衛整備にあたった軍人軍属も 近隣から動員された老少婦女子を含む各種奉仕隊も共に祖国の勝利を念じつつ辛酸を分かち合ったのである 時代の流れは刻刻にかつての面影を消し去つてゆく 幸い今日まで生を得たわれ等当時の関係者は世界の平和と日本民族永遠の繁栄とを祈りこの地に記念碑を建立する 願わくはここを巣立ち ここに戦死せられた人々の霊の安らかんことを 昭和五十三年十一月五日建立 撰文 月江冨治朗 (敬称略)戦前は、父も母も学徒勤労動員で学業も疎かになりながら生きた時代。母の実家にいた軍人は、恩賜の時計組。出陣学徒を送り出した。学徒を送り出す前日、学生達はクラシック音楽を聴きながら翌朝には散華していったという。もう同じ轍を踏むことのないように平和を希求しながら、ごちそうさまでした。

Michiya Suzukiさんの行ったお店

ラーメン 平山の店舗情報

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予約・問い合わせ 非公開
ジャンル
  • ラーメン
営業時間
定休日
予算
ランチ
~1000円
ディナー
~1000円

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住所
アクセス
                                        ■駅からのアクセス                        
                JR東北本線(宇都宮線) / 那須塩原駅(3.3km)                        

                        

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