【 星のクライマー 】
カツカレー。どうってことがない様式美に沿ったビジュアルである。のち、私はここに山菜そばも食べに来る。5日滞在して2回も、ここでランチをとった。というか、こことEdgeでカロリーメイトを食べた以外、ニセコで今回は昼食を取らなかった。
いたって普通のカツカレーである。カツカレーとしては手作り感を感じられるような、実にスタンダードなカレーに薄いカツが敷き詰められていて、量的には非常に満足がいくものだ。(尚、この写真は大盛りである)
お店の中心には薪のストーブがあって、実に古くからあるそのスタイルの穏やかな空気感に午後のひとときの休憩を求む。場所はなぜか少しブラインドしていて”5壁の下”という俗称で呼ばれる場所にある。
もしかしたら、その会話がなければ私はGOODにしていたのかもしれない。
「エベレストってなんメーター?」
そんな会話から始まった。8700ぐらいだっけ?とかいう話になって、実際には8849Mである、と調べたわけだ。今年小学校に上がる子供の質問に、適当に答えてはいけないよね。と笑いながら、なぜその話になったか、というと私のブラインドサイド、後ろにその、エベレストの写真があったからである。
エベレスト頂上、1983年10月8日。イエティ同人隊、遠藤晴行撮影という、大きな写真だ。問題は、なぜこの写真がここにあるのか、と言う事である。場所が場所だけに、もしかしたらこの望羊荘の人がイエティ同人隊だったのかと、調べてみることにした。
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遠藤晴行(えんどう はるゆき)1957年 東京都生まれ
山岳ガイドグループ・イエティ代表.
中学生の頃より登山を始め、15歳でクライミングの世界へ足を踏み入れ、20歳で海外へ。1983年エベレスト無酸素登頂、8000m峰4座に登頂。マッキンリー2回、アコンカグア9回、パミール三山(コムニズム峰ほか)にも登頂。ヨーロッパ・アルプスでは、20歳時にマルモラーダ南壁、チベッタ北西壁などを登攀。
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なんとこの写真は、日本人が初めて無酸素で、エベレストに登った時に撮られた貴重な写真であった。
もう少し調べてみよう
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1983年10月8日。生と死を分けた運命のその日、エベレスト山頂でいったい何が起こったのか…。日本人として初めて世界最高峰の無酸素登頂に挑んだトップクライマー吉野寛とその壮絶な最後については、『精鋭たちの挽歌』長尾三郎(1989/山と渓谷社)と『ボクのザイル仲間たち』小西政継(1987/山と渓谷社)に詳しい。83年にイエティ同人隊4人のリーダーとしてエベレスト無酸素登頂に挑んだが、同時にアタックした山学同志会の2名と前後して頂上に立ったあと、下降中にビバーク。翌日、氏と禿博信は滑落死してしまう…。
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日本人として初の無酸素でのエベレスト登頂。その頂上の写真。この時の4人のうちの二人が命を落としてしまったと言う、その直前の写真を私は前にしている。この写真は、ただの写真ではない。当然、フィルムの時代である。エディションがいくつあるのかは知らないが、ここにこの写真がある、と言うことがずっと気になってしまっている。
お店の人に聞いてみた。なぜ、このような貴重な写真がここにあるのかと。「ああ、あれは常連のお客さんからの寄付でね、、、」ほんの立ち話で聞いたのは、その片鱗だけであった。遠藤氏は、どういった気持ちでこの写真をここに寄贈したのか。
そうか、遠藤氏にメールでも飛ばしてみれば、その話を聞けるのかもしれない。聞けるのかも、しれないが。
スイスの天才、ウエリ・シュテックだって命を落とすのだ。アイガー北壁1800Mを2時間22分という異常なまでの記録持ってして、まで。
そんなことを写真の前で思いながら、私はカツカレーを食べ、山菜そばをすする。ニセコヒラフに行ったら、ぜひこの写真を見に行って欲しい。山が好きな人すべてに見て欲しいその写真は、日焼けで退色しているが、みるものを引き込むだけの力がある。
子供が最初に気がついたのは、その感性からだろうか。